ブータン:知られざる楽園

龍の王国、ブータンは、近代的でありまたいにしえの土地です。記録に残る歴史は16世紀に遡りますが、近代化の歴史はわずか30年ほどです。ブータンは、アジアで西欧列強に植民地化されなかった2つの国のひとつでした。それゆえ国土、自然の美、人々の生活や文化的な豊かさは、世界が21世紀を迎えるこの時にあっても、手付かずのまま残されています。

大なるヒマラヤ山脈の懐に位置し、人口が65万人に満たないこの国は、地球上のもっとも変化に富んだ地表に広がっています。この地理的な条件が、山の向こうでかわりゆく世界にも関わらず、ブータン民族をユニークな存在にしてきたと言えるでしょう。ブータンの地理は素晴らしく変化に富んでいます。インドと中国の間の小さな土地でありながら、南部では海抜200メートル、北部のチベットとの国境地帯では、ほぼ8000メートるに及びます。イタリアの温暖さとシベリアの寒さが南から北へのたった1日の旅行で味わえるのです。南部の丘陵地帯は亜熱帯性気候で、夏は高温多湿、冬は温暖です。北部では、夏は短くて涼しく、冬は積雪と霜に見舞われます。モンスーンによる雨期は普通6月に始まり、9月末まで続きます。気候と同じように、植生も南部の熱帯種に富んだ湿潤なジャングルから、北部の温帯から亜高山帯の植生まで変化に富んでいます。ブータンの森林資源は科学者によって非常にユニークであると認められ、東ヒマラヤは、地球上でもっとも自然環境が残された10地域のひとつと考えられています。ブータンの自然の多様性は、約700種の鳥類と、少なくとも5000種の植物があることからもお分かりいただけると思います。

ータン人は、黄色人種に属します。国語は「ゾンカ」ですが、南部のネパール出身の入植者の間でネパール語が話されるなど、多くの地域でそれぞれの方言が話されています。しかしながら政府では、「ゾンカ」と共に英語が一般に使われており、それゆえ、英語は広く使われています。ブータンの民族衣装は、明るい色で繊細に手織りされています。男性は着物のような「ゴ」を膝丈で着、女性はくるぶしの長さの「キラ」を着ています。仏教が国教であるため、ほとんどのブータン人が仏教に帰依しています。国は多くの「ゾン」(城塞)によって住民を行政的に分けており、「ゾン」は宗教と文化のセンター、そして行政機構の座となっています。「ゾン」は、今日でも適切に機能しています。それゆえ、それぞれのコミュニティーと地域で、「ツェチュ」と呼ばれる年ごとの祭りは、ブータン人の神聖視するゾンで執り行われるのです。

ータン人の90%近くが農民で、米(主食です)、麦、とうもろこしなどを育て、また家畜を飼育しています。家々は泥と石、木で建てられて明るい色で彩色されており、一般に3階建てです。スイス・シャレーのように、屋根は一層です。ブータン人の職人気質は、竹細工、銀細工、ブロンズの鋳造、木彫りや絵画に及びます。山岳に住む人の多くがそうであるように、ブータン人は誠実で善良、弓を国家的な娯楽として楽しんでいます。

貨単位はニュルタムで、米ドルとの交換レートは、99年10月現在1ドル42ニュルタムです。近代化以前、ブータンは多くの地域で自給自足の農村経済でした。ブータン人は、自分達の必要に応じ、また資源を有効に活用しながら、農業システムを築いてきました。塩を除き、必需品はすべて国内で調達することができたのです。これらすべてが変化を遂げることになったのは、1952年、第三代国王が父王の後を継いで即位したときでした。ジグメ・ドルジ・ウォンチュック国王は、ブータンにもうひとつのビジョンを持っていました。国王は、国民により健康的な生活を望み、王国の扉を開くことを選び、国民を近代化の道へと導きました。最初の近代化プランは1960年に策定され、以降決して後戻りすることはなかったのです。